この辺りは如水町という地名なんですね
【引用】 http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/juraku/annnaizu.htm石碑がある如水(にょすい)町は聚楽第があった当時、この地に屋敷を構えていた彼の号の「如水(じょすい)」、南隣の「小寺町」は彼の旧姓「小寺」が由来です。黒田家は彼の祖父の代に播磨の大名の小寺政織に仕え、彼の父が主家の小寺家の 養女を妻にすると主命により黒田家は小寺姓を名乗りました。彼の功績で織田と毛利という二大勢力に挟まれた小寺ら播磨の大名達は織田信長の傘下に入りまし たが、主家は彼を裏切る形で織田に背いたことで滅亡し、その後の彼は織田家重臣の羽柴秀吉に仕え、小寺姓から先祖代々の黒田姓に戻しました。石碑がある如水町周辺には浅野長政の通称の弾正少弼を由来とする弾正町、蒲生 氏郷の通称の飛騨守を由来する飛弾殿町など屋敷を構えていた大名を由来とする町名があります。如水町周辺の町名由来となっている大名の配置から、周辺には 秀吉の家臣と織田信長の家臣という秀吉の元同僚で秀吉に仕えている大名の屋敷があると考えられます。現在は写真にある石碑の横の木の背丈が伸び、石碑のすぐそば(写真の右側)に電柱があるため、知らないうちに石碑を通り過ぎてしまう可能性が高いです。石碑は一条通猪熊の交差点から西へ進んだ南側の一本目の電柱の傍にあります。電柱を目印に探してみてください。
いや~ほんとに通り過ぎてしまいましたw
大きな地図で見る
0 件のコメント:
コメントを投稿