千利休居士聚楽屋敷跡の碑

2014年11月20日

009900 旅 26102 京都府京都市上京区

t f B! P L

清明神社のすぐ横にある石碑
千利休居士聚楽屋敷跡の碑
 碑文にある聚楽屋敷跡の聚楽は聚楽第ではなく、聚楽第と大名屋敷街、町地の聚楽町など城下町を含めた都市の聚楽を意味します。けっして千利休の屋敷が聚楽第の曲輪内にあるわけではありませんので、誤解されないようにお願いします。
 元禄4年(1691)刊行の『茶道要録』に記載されている千利休の聚楽第の屋敷の場所が「葭屋町通元誓願寺下ル町」という記述に基づき、平成16年(2004)に建立されました。
 ただ、葭屋町通は天正18年(1590)の天正の地割により開通した通りの1 つです。聚楽第造営は天正14年(1586)から始まり、秀吉が聚楽第に移住したのはその翌年です。葭屋町通が開通した天正18年時点では石碑がある付近 は大名屋敷が建ち並んでいたと考えられます。大名屋敷の敷地内に新しく道路を開通させるとは考えにくいため、石碑がある辺りまで葭屋町通が延びたのは聚楽 第破却後と考えれます。
 そのため、他の史料に掲載されている千利休屋敷の位置を刊行当時の地名に置き換えて記載したと考えられます。この記述の基となった史料がいつの時代のものであるのか、その史料にある屋敷の位置を正確に刊行当時の地名に置き換えて記載されているかという点は要注意です。
 もっとも、江戸時代初期の『浅野文庫蔵諸国古城之図』の「山城聚楽」では彼の 屋敷を建碑場所から2区画西、江戸時代後期の『豊公築所聚楽城址形勝』は1区画西にあるとしています。3つの史料では区画は少し異なりますが、この辺りに 千利休の屋敷があった点は一致しています。
【引用】  http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/juraku/annnaizu.htm

清明神社による動画もありました




大きな地図で見る

ブログ内の記事を検索

Instagram

Instagram
フォローしてくれると喜びます(^^)

contact

名前

メール *

メッセージ *

QooQ