三月の桃の節句には、内裏雛や禿(かむろ)人形を、五月の端午の節句には、甲(かぶと)人形や鯉幟を売る仮店が十軒あったことから、十軒店の名があるといわれています。寛永江戸図などに記載があり、この頃からすでに名高いものでした。 十軒店の出店は、寛政(1789年~1801年)には41軒を数えるようになったといわれ、その賑やかさや雑踏ぶりが偲ばれます。 この十軒店の名は、町名として大正時代まで残っていました。いまはりそな銀行の横に看板が立ってるだけ、何の面影もありませんw
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