福山八幡宮の後、福山城に戻る途中にある備後護国神社へ

【公式HP】
なし

【御祭神】
備後国出身の護国の英霊
大彦命(おおひこのみこと)
武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)
豊韓別命(とよからわけのみこと)
阿部家中興の祖従五位下伊豫守正勝公を始めとする代々の祖霊

【社格】
指定護国神社、別表神社


現地にある御由緒の看板と、御朱印をいただいたときに一緒にいただいた神社略誌によると、昭和32年3月1日に備後神社(戦前は福山護国神社)と阿部神社を合併して備後護国神社としたそうです
祀られている御英霊は昭和54年10月現在で31,415柱
大彦命は孝元天皇(第8代天皇)の御子、武沼河別命は大彦命の御子、豊韓別命は武沼河別命の御子、三代を祀っています
歴代の福山藩主を勤める阿部家を遡ると孝元天皇に行き着くようですね
陰陽師・安倍晴明も遠縁になるようです

北にある福山八幡宮から来たので北側から入ってしまいました
本当は西側にある鳥居から入らないといけないのですが
しかもその鳥居を写真に収めるのを忘れるという失態…(。-_-。)













境内の中には英霊を祀る慰霊碑がたくさんありました
護国神社への参拝は初めてなのですが、こんなに多くの人たちが戦争で亡くなったのかと思うと胸が詰まります
親や妻、友人、子供…
国に残して散っていった人たち どんな思いで戦っていたのだろう?

戦争は反対です
でもこの御英霊が国のために戦ったからこそいまの日本があるわけです
集団的自衛権について毎日のようにニュースが流れています
戦争法案と声高に反対している人たちはこの御英霊の前でもそれが言えるのでしょうか?
国を守ることと戦争をすること、同義ではありません
日本という国を守りたいならもっと良く考えてもらいたいなぁ
日本全国をまわり、いろんな神社やお城をまわり、日本の歴史に触れれば触れるほど
日本を守っていきたいと強く思います

階段を上がったところに拝殿があります
写真を撮りづらかったのですがパノラマにしたらどうにか上手く(?)できました


拝殿左手には阿部正弘公の石像
阿部正弘公は江戸時代末期の福山藩第7代藩主であり、江戸幕府の老中
安政の改革を実施した幕末期の主要人物ですね

本殿

安産祈願
可愛い子供の石像がありました



参拝を終え社務所に向かう途中に御由緒等の案内がありました

いただいた御朱印

広島遠征前に御朱印帳を5冊購入してまして
そのうちの1冊は護国神社のみの御朱印帳にしました
で、御朱印をいただくときに
「どのページに書きますか? え、1ページ目で良いんですか!?」
と言われ
いただいた後に
「1ページ目は靖国神社のページとして空けておけば良かったかな?」
と思ったり…w
ま、靖国神社は他の御朱印帳にいただく予定なのでこれはこれで良いでしょう

初穂料は決めていないということで
小銭が無かったので1,000円札を渡し
でもお釣りをいただくのはなんだか恐縮だったのでそのまま納めました

こちらが昔の参道なのかな?
なんだかいろんなことを考えさせられる神社でした

社務所の隣は武道場になっているらしく
少年たちが剣道に打ち込む元気な声を聞きながら神社を後にし
次の目的地・尾道に向かいました

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